嬉し懐かし来訪者

「こうして大阪に来れるところがあって嬉しいのです」

爽やかな笑顔で彼女は言った。
普通ならお愛想とも思える言葉だけれど、彼女と私の間ではこの言葉はズシン!とくるのである。
走馬灯のように思い出されるあれやこれやにどこから話せばいいのかもどかしく!(笑)

「もう大丈夫ですか?」
お顔をうかがいながら恐る恐る聞き出す私を楽しんでいるかのように
「私、タバコを吸っていらっしゃる居酒屋さんでもアルコールをいただけるようになったんですよ!」
「大阪にいるときは派遣でデパートなどの仕事もしていたのですよ!」
つぎつぎ発せられる言葉に驚きの連続である。

Le purをはじめた2000年ごろ、化学物質過敏症は社会的問題になりつつあった。
シックハウス、シックスクールなどの活字が新聞紙面を賑わすこともあり、そんななか Le pur(ルプ)のキッチンが生まれた。

彼女からのお電話でキッチン製作のお話をいただいたのが 2004年、もう13年前の話になる。
「チルチンびと」で接着剤を使わず溶接と組立てだけで作る過敏症対応型キッチンをご覧になり、これだ!と思いご連絡くださったとか。

キッチン製作にあたり、化学物質過敏症のお客さまとのヒアリングはルプの宝となった。特にこの彼女の症状は酷く、家を建てるのにその土地の土から入れ替えるほどの重症だった。住宅地を縦横する下水からも反応が出て家を一歩も出られないこともあったという。

当然、工事の職人さんたちの意識も問われる。
大工さんの良かれと思って変えた材料も彼女にとっては迷惑以外の何者でもなく、たとえ彼女が発注した材料であっても症状が進行するので、どんどんダメになっていくという悲惨なことも目の当たりにした。もっと言えば、私の今までの生活や価値観をガラリと変えてしまうほどの案件でもあった。

この話をするときに外せないのが京都のNさま。私は新潟のKさまとの間をとりもった。同じ症状のお二人ならきっといい方向に導きあわれるのでは?と。案の定、意気投合されたお二人は次第に行き来されることとなり、今でも家族単位でのお付き合いが続いておられるとか。

しかも!お二人とも過敏症の症状がほとんど良くなっておられる。完治しないと思われていた化学物質過敏症もその症状との付き合い方では軽減するという例を目の前で実践されたお二人。
私の経験で、化学物質過敏症の症状がよくなる傾向がみられる二つの条件はみつけた。新潟のKさまも京都のNさまもその二つは完備されている。

〇ご主人が一緒になって理解を示してくださること。
〇ご本人の前向きなポジティブな性格、それなくしては決して良くはならない。

ただ、この条件だけで良くなればこの病気が発症することはない、あくまで必ず良くなる傾向にあるということ。

「そこまで改善されたのには、結局、何が良かったとお思いですか?」
難しい質問をぶつけてみた。

すると彼女の口から意外な答えが飛び出した。             


                         ・・・つづく